お土産はMt. Fuji/宮臺俊彦


出発前に悩むのがお土産。少しでもファミリーに喜んで貰える品。例年これはと思ったものは買い置きしているのですが、今回はギリギリになりました。その甲斐あってか、その品は各地で好評でした。どの家庭でも直ぐに身につけてくださいました。特にタウランガのデービッドは、いきなりその場で着替え、同じくプレゼントしたクラブのネクタイまで着用。ワインも進んでいたので、本人は上機嫌。奥さんのカレンはその奇妙なスタイルに苦笑い。世界遺産への登録や、多くの外国人観光客も登山をしているなど、事前に認めた話題も通じ、喜んで貰えました。シンプルですが、バックには富士山と白鳥のイラストがあるかわいい (?)Tシャツ。夕食前の和やかな時間に一役かってくれました。
   「ちょっと小さかった?」。
   「ダイエットするから大丈夫!デービッド」。
(タウランガにて)

一族の誇り/坂井利弘


ホストファーザーはスコットランドからの移民での祖先はロベサルの開拓使の一人でした。まさに希望を持って喜望峰を過ぎたそうです。
次の日、ルーツを見に行こうと言われていたのですが、その言葉の真意が分からずきっと聞き間違いなのだろうなと思って車に揺られていると、とある広場に着きました。
こんな所に何の用事だろうと思うと、ここにルーツのモニュメントがあると言うのです。聞き間違いではありませんでした。そこに建っていたのは一族の誇りでした。
(ロベサルにて)

ネルソンレイクス国立公園にて/須賀教匡


ファミリーのピーターソンさんが連れて行って下さった、ネルソンレイクス国立公園。ネルソン近郊には自然の美しい国立公園があります。
ロトイティ湖をボートで渡り、ウィスキーフォールという滝を観に行きました。1880年代に発見された高さ約40mの滝です。
散策路の脇に生えるのはビーチツリー。別名、ハニードューツリーと言います。黒い樹皮から出た、露の様な透明な物体。NZ原産のブナの木の樹液を吸ったカイガラムシが出す甘い蜜です。舐めると蜂蜜の様な甘さがして美味。NZでしか味わえない体験でした。
(ネルソンにて)

サイクリング/菅原歩


父さんの持っていた自転車を借りてサイクリング。行きの湖沿いの景色は日差しを反射しキラキラ光って綺麗でした。帰りは天候が崩れ、雨が降り出し帰宅後はずぶ濡れに。
今思えばそれも楽しい思い出です。
(タウポにて)

テストマッチの夜/斎藤智志


その日はラグビーのニュージーランド代表と南アフリカ代表が戦う日。テレビでではありますが、現地で試合を観られるのはラグビーファンの僕にとって貴重な体験でした。幸運な事に、ステイ先のお母さんも大のラグビー好きだったんです。
そ の大イベントに備えて正装に着替えました。それは持参したジャパンのジャージ。同宿の相方はオールブラックスのジャージでした。みんなで国歌を歌い、心を一つにして応援。一進一退の中、ようやく決めたトライにお母さんは大喜びでガッツポーズ。見事逃げ切りました。もちろん大興奮です。
ラグビーW杯日本開催まであと5年。
「チームの実力はもちろん、ファンの熱も負けてるなぁ・・・」
「でもなんとかして差を縮めないと!!」、と痛感した夜でした。
翌日のお別れセレモニーのとき、お母さんの胸にはCFのバッジとともに、日本ラグビー協会のメンバーズバッジ、ジャパンとオールブラックスの初テストマッチの記念バッジが輝いていました。次は何をプレゼントしようかなぁ。
(タウポにて)

次回もお願いします/三瓶晃弘


「燃費も良いんだぜ」とニコニコです。ファーストチャーチに迎えに来てくれたピーターさん。荷物を持って外に行くと、黄緑色の車が待っていました。明らかに新 車です。家までの車中では、お互いの近況等を語ります。話題が一通り終わった後、「良い車だね」というと、待ってましたとばかりに色々と語りだしました。 ピーターさんは元々タクシーの運転手さんで、きっと車好きなのでしょう。私も好きなので雰囲気で分かります。自慢の車の写真を撮らせて貰いました。きっと次回もこの車で颯爽と現れてくれる事でしょう。
(ダニーデンにて)

思いがけないデュオ/宮崎裕史


ステイさせていただいたダロルさんは合唱団の方でした。奥様のレイリンさんも合唱をしていて、街の音楽イベントの時はそれぞれの合唱団で出演する事があるとの事。
夕食後、レイリンさんが「1曲歌おうかしら」と言って、CDのピアノ伴奏に合わせて歌い始めました。堂々とした歌声、ビブラート、まるでオペラを聴いているようでビックリ。1曲にとどまらず、3曲披露していただき、その後はダロルさんとデュオで1曲。息がぴったり合っていて、大いに盛り上がったのでした。
(ロベサルにて)

朝のランニング/畑誠一


晴れ渡った空は最高に気持ちが良い。道幅も広くとても走りやすい。写真では解りづらいが坂道が続いている。数人のクラブのメンバーが向かう中、日本人墓地まで片道3キロ程を走る。そして、両手を合わせ祈りを捧げた。この世界の平和を願ったのであった。
(カウラにて)

十年目の確認/小池達郎


応募に応じたのは一回だけだと記憶している。煉瓦を購入して敷石の一つとする。それは "Peace Road" となり、公園を縦断するはずだった。メンバーの有志が手を上げ名前を彫ってもらった。出足は順調と聞いていたのだが。どうやら計画は頓挫したらしい。出来ているのは両端だけ。もしかしたら十年間放置されたままなのか?
(カウラにて)

契りの夕食/仁科賢


ホストファミリーの都合もあって24年ぶりにスターファミリーにお世話になった山根先輩。夕刻に到着したこともあり、そのままレストランへ直行。ビールを頂きながら待っていると出て来たメニューにビックリ!特大のラム肉です。しっかりと完食しましたよ。話変わってこの二人、同い年で頭も一緒ということで意気投合!二年後に髭を伸ばしてくれば完璧だ。そんな約束していた様な・・・・。
(カウラにて)

フェザーストンの家で/小林裕昌




これで7度目のステイになります。
家のそこかしこには家族のポートレートが飾られています。そのうちの一つに私が送ったクリスマスカードを額に入れた物がありました。私のために用意してくれたウエルカムのようです。そのさりげなさが嬉しく思わず写真に撮っていました。
(フェザーストンにて)

サパーでの一時/鈴木勝宏


演奏旅行最後のコンサート。観客席に着物姿の美女が一人。名前は Lucy 。最初の出会いは9年前のサロンコンサート。その時はセーラー服に身を包んでいた。交換留学で来日していた時、彼女の実家にメンバーがホームステイしたか らだ。それ以来、CFがこの街を訪れると会いに来てくれる。
(カウラにて)

合唱団主催のBBQ/佐藤昇


お昼は、ワイナリーのラウンジでロペサルハーモニークラブ主催のBBQ。元校長先生のシモンズさんは早速、お土産に渡した前掛けを締めてソーセージやビーフを焼いてくれました。
(ロベサルにて)

Indeed/永富計吾


初訪問のロベサルは、ドイツ人移民が主に開拓したアデレード近郊の小さな街です。お世話になったハービック家もその血を引いています。堅苦しいと思いきや、まあ良く喋る事、それ以上に表現の大げさな事。何かすると wonderful、一つ一つに Oh good、語尾には必ずインディード。CFの歌は素晴らしい、indeed。このお土産は最高だよ、indeed。しかもそれをゆっくり噛み締める様に、必要以上に良い声で言うのです。話しているだけでこちらも何だか楽しくなってきます。そして気が付いたら自分もindeed。次の訪問都市では、私の話し方が少し変になっており、ファミリーに笑われてしまいました。
移民の四世代目であるジョンさんが「俺の曾祖父さんは木に住んでいたんだ。それを見に行こう」と、私達を農地が広がる丘陵地に連れて行って下さいました。でも意味が良く分かりません。何度か聞き返した私は、きっと林業かなにかで生計を立てて、ユーカリばかりの土地を開墾したのだろうな、と考えていました。「ここだ、着いた」フェンスに囲まれた場所に、一本の大きなユーカリの木がありました。「この木に五年間住んでいたんだ」私はその言葉を繰り返しました。木に住んでいた。ええ!言葉通りの意味なの?洞穴ならまだしも、木!確かに雨宿りくらいは出来そうな形だけれど・・。開拓史初期の1855年からここに住み結婚し、二人の子供も儲けた、と説明板にも書いてありました。私はジョンさんに言いました。I am so surprised, INDEED.
(ロベサルにて)

集合写真/塩幡俊樹



カウラでのコンサート後、初訪問からお世話になっているブライアントさん家族が一同に集まった。私は息子さんのチャーリーさんのお宅にお世話になっている。親と子の世代から、今に至るまでクラブと長年交流のあるファミリーと会えた事に大変感謝しています。この結びつきを大切にしていきたいと強く感じました。
(カウラにて)

ロス・シューベルトさん/富樫敦

ロベサル・ハーモニー・クラブのロス・シューベルトさんは最長老で、64年のキャリアを持つ。CFが誕生する前から歌っている事になる。お名前の通りドイツ系である。アデレイド周辺はドイツからの移民が多く、町の名前もドイツを偲ばせる地名が多いが、第一次世界大戦時はオーストラリアとドイツは交戦国であったために、英語風に改名させられた悲しい歴史がある。教会もルタ-派の教会が多く、いくつか見せて頂いた。驚いた事にどの教会にもホールがあり、グランドピアノが置いてあり、音響設備が整っている。音楽好きのドイツ人は、音楽に投資する事も怠らないと思った。シューベルトさんの合唱キャリアもそんな音楽に裏打ちされている。
(ロベサルにて)

ただいま、プケコ/大石則幸


NZのタウランガという街に初めて訪れた時、ランニングの途中で湿地に立ち尽くす、クチバシが真っ赤で体が真っ青な鳥を見つけた。暫く見ていると、飛ばないで跳んでいる。ホームステイの家族に聞くと「プケコ」だと。名前まで変わっている。以来プケコフリークに。
タウランガのスーパーマーケットで見つけた。庭用の鉄製。これは絶対買ってはいけない。スーツケースに入るわけがない。家に庭は無いし、絶対に邪魔。買ってはいけない、買っては・・・
我慢出来ませんでした。1人ものの帰宅を迎えてくれる巨大プケコ。足によく引っかかり、やはり邪魔。
(タウランガにて)

あなたはスター?/大王和広


有りましたよ、我々、CFのコンサート案内のポスターが。ダニーデンのメインストリートでショッピングしていた時、銀行のウインドウに貼ってありました。店頭で行員がクレジットカードの宣伝をしていましたので、一緒に写真をお願いしました。ポスターの写真のこれが私だと説明すると、「あなたはスターですか?」と言われました。語学力の無い私は、どう返答すれば良いか分からず・・・。スターはさっと、「yes」答えるだろうと後から思いました。
(ダニーデンにて

WETA CAVE訪問/田島清



ウェリントンにある映画の特殊映像を撮影するプロダクションのツアーに連れて行って頂いた。日本で言えば円谷プロの様な所。映画ホビットに出てきた衣装や小道具が多数展示してあり、映画好きには垂涎もの。制作工場では3Dプリンターが稼働しており、技術の発展に伴って、制作物も軽量化・精緻化が可能になったと説明された。
WETA CAVEの前で記念写真。スティプルスご夫妻、小池先輩、皆兄弟のようでお気に入りの1枚。
(フェザーストンにて)

Oh! ヘンリー/山根武司


もう、お会い出来ないのだろうか。あれから10年くらいになるだろうか。かつて一度だけロベサルのメンバーにお世話になった。アデレード市街から遠く離れたマンナムという小さな街だった。もう、かなりの高齢であろう。こういう場合、聞くに聞けない雰囲気がある。亡くなっていたらどうしよう。そんな不安が頭をよぎるからだ。演奏会の翌日に開かれたBBQパーティー。小さなブティックワイナリーの洒落たシェルターは良い匂いに包まれて賑わっていた。すると、電動車椅子に乗った勇姿が光の向こうからやって来た。仲間がわざわざ迎えに行って来てくれたと言う。しかも、この場所は彼のお嬢さんが経営しているそうだ。ステージに立つ事は無くとも、今なお、こうしてメンバーに囲まれて生活されているのが素敵だ。私の心配をよそに何だか、ちょっとやられた気がした。絆って、こういうものなのかなぁと感心させられた。
(ロベサルにて)

タウポの夜/瓦井良幸


新しいホストファミリーでした。
「お腹もすいているでしょう」。コンサート後の空腹には有り難いことです。美味しそうなサンドイッチに手を伸ばした矢先に一帯が闇に包まれました。ゴードンさんがスイッチを触ってもダメ。ブラインド越しに外を見てみると周辺も真っ暗でした。停電だ、なんたるタイミング。お母さんのジェーンさんが燭台と三本のキャンドルを持ってきました。暗闇に灯る灯りに何ともいえない高揚感を感じました。偶然発生した事態に、ジェーンさんも「ファンタスティック」と喜びを笑みに浮かべています。「さあ召し上がれ」「イタダキマス」。

ゴードンさんもLEDのランタンを探しだし、テーブルへ置きました。その瞬間停電が復旧。全てが明るくなり、四人で顔を見合わせて安堵感と笑いに包まれました。一気に心が近づいた瞬間でした。
 (タウポにて)

救いの神/小林和敬


その時は、異変に気付かなかった。何か写真がおかしいなと感じた。しかし、暫くそれがなんなのかわからなかった。ん?、いくら送っても写真が変わらん?あれ!メモリーカードが一杯になったと警告が発せられていた。
やってしまった。モニタをもう一度見る。しかし、失敗を確信したに留まった。ロベサルとの合同演奏が全く撮れていなかった。
それからはどうしょうかと右往左往した。そういえば2階席で写真を撮っていた人がいたなと、まず探そうと思った。やっと見つかり、「演奏会の写真を撮っていたようですがその写真を私にください」とアプローチ、良いよとの返事を頂けた。救いの神に会った思いだった。その神は、ナイジェルさん。その日にデータをと思ったのだけど、もう会えなかった。植樹の時もいるであろうと祈る気持ちだった。願いは叶い無事に会えデータを頂くことが出来た。その時に団員2名のホストファミリーでもあることが分かった。失敗のお陰で話す事が出来た。こんなこともあるのだなぁ。

(ロベサルにて)

記念レコード/永井正敏

ロベサル・ハーモニー・クラブの100周年記念レコードを見せて頂きました。36年前のレコードには、若かりし頃のお姿が・・・。この色合いに歴史と重みを感じます。
(ロベサルにて)

Yoshi, Yoshiコンビ/須藤吉史

名前が近い事から、旅の半分を一緒に過ごした相棒・瓦井さんです。同じ「Yoshi」だと何かと不便なので瓦井さんが「Yoshi1」、私が「Yoshi2」。この呼び方を決めたのは、以前お世話になっていたフェザストンのエリカさん。今はネイピアに引っ越してしまったので、今回からエリカさんと親交が深かったウインターさん夫妻の所にお世話になりました。シドニーに向かうバスでのスピーチで「ずっと同じで、つまらない思っていた。」と、瓦井さんに言われた時は少しショックでしたが、最後は「そうでは無かった。」と、締めくくられホッとしました。しかし、番号も間違える様で、次は「Farmer Yoshi(農家瓦井)」と「Sparky Yoshi(電気工事士須藤)」でいこうと思っています。
(フェザーストンにて)

素晴らしい仲間/土田公

「これぞオーストラリア!」。アデレード空港から車で30分も走ればそんな風景に変わる。青い空、白い雲、乾いた空気、赤茶けた大地にユーカリの大木。野生のカンガルーにお目にかかるのだって珍しい事ではない。
朝のランニング後、この広大な景色をカメラに収めようと私は勇んで出掛けた。しかし、ほんのちょっとのつもりが少々夢中になり過ぎてしまった様だ。一緒にホームステイしている先輩と後輩が、いつまで経っても帰って来ない私を心配して探しに来てくれたのだ。私はこんなにも素晴らしい仲間に恵まれた。心から感謝。
(ロベサルにて)

新たな出会い/吉田晋平

ホストファミリーとの交流は長年に渡る事が多いですが、私達も年齢を重ね、自分より歳下のホストにお世話になる事も増えてきました。フェザーストンではルーシーさんにお世話になる事になりました。7年前にイングランドから移住されたそうです。日本に数ヶ月住んでいた経験もあり、私達との交流を大変楽しみにされていました。フェザーストンには第二次大戦中に捕虜収容所があり不幸な暴動事件がおき、日本人、ニュージーランド人双方に犠牲者を出しました。私達の訪問にはこの方達の慰霊と、この事で傷ついた街の皆さんとの友好親善という目的があります。ルーシーさんは移住されてきたという事もあり、私達の訪問の経緯や街の歴史については全く知識の無い状態でした。二泊三日の滞在でしたが、たくさんの話をしました。何故継続して訪問しているのか、いかにして暴動が起きたのか、私達の交流がどれだけの意味のある事か・・・。
お別れの朝、交流の継続を約束しました。未来につながる出会いに感謝しています。
(フェザーストンにて)

屋根裏部屋/伏見且敏

スタッフの宿泊先は古めかしくも由緒のある一軒家。コテージとして貸家になっているが、なんとこの家はカウラ初訪問時、大王先輩がホームステイをされ、お世話になった方の家だった。そして私は先輩と同じ屋根裏部屋に寝る事となった。40年近い時の流れをこの部屋で感じながら床に入る。時々、何処かの物音にビクッとしながらも様々な想いを馳せながら眠りについた。
出発の日、慰霊式を終えホストファミリーの墓参に向かう先輩。最初の晩に何を考えながら眠りについたのかを聞いてみた。それは人の心の温かさだった。私もそうだった。そして、それはこのカウラでは今も変わらない。自分達もいつまでもそうありたいと思いながら再訪問を心に誓った。
シドニーに向かう車中からは一面のキャノーラ畑。心に焼き付けた。
(カウラにて)